直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)とは、大正時代を代表する小説家の一人・直木三十五の業績を記念して、友人であり「文藝春秋」を創刊者でもあった菊池寛が創設した文学賞です。直木は「文藝春秋」にて創作はもとより、無署名のコラム記事を数多く寄稿。創刊10周年の「文藝春秋」執筆回数番付では「西の横綱」に名前が上がるほどでしたが、昭和9年に結核性脳膜炎により43歳の若さでこの世を去ります。友人の死を悲しんだ菊池寛は、「文藝春秋」昭和10年1月号で、直木三十五賞の制定を宣言しました。第1回受賞作に川口松太郎の「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」が選ばれ、以来、直木賞は新人・中堅の大衆小説(エンターテインメント小説)に授与されることになりました。近年では新人・中堅に限らず、大ベテランが受賞することもあります。候補作は上半期は前年の12月からその年の5月に発表された作品、下半期は6月から11月の間に発表された作品から選出され、選考会は上半期は7月中旬、下半期は1月中旬に行なわれます。
基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
賞名 | 直木三十五賞 |
設立年 | 1935 |
選考頻度 | 年2回(1月、7月選考会) |
運営団体 | 文藝春秋 |
受賞者一覧
「Kindleで読み放題」 および 「オーディブルで聴ける」 対象作品は時期によって変わる場合がございます。

第136回(2006)・下
受賞作なし

第128回(2002)・下
受賞作なし

第118回(1997)・下
受賞作なし

第112回(1994)・下
受賞作なし

第94回(1985)・下
京都まで
林真理子

第92回(1984)・下
受賞作なし

第88回(1982)・下
受賞作なし

第82回(1979)・下
受賞作なし

第78回(1977)・下
受賞作なし

第77回(1977)・上
受賞作なし

第75回(1976)・上
受賞作なし

第73回(1975)・上
受賞作なし

第70回(1973)・下
受賞作なし

第68回(1972)・下
受賞作なし

第66回(1971)・下
受賞作なし

第65回(1971)・上
受賞作なし

第62回(1969)・下
受賞作なし

第60回(1968)・下
僑人の檻
早乙女貢

第59回(1968)・上
受賞作なし

第54回(1965)・下
虜愁記
千葉治平

第51回(1964)・上
受賞作なし

第49回(1963)・上
女のいくさ
佐藤得二

第38回(1957)・下
受賞作なし

第36回(1956)・下
勝烏
穂積驚

第35回(1956)・上
壁の花
今官一

第33回(1955)・上
受賞作なし

第31回(1954)・上
終身未決囚
有馬頼義

第30回(1953)・下
受賞作なし

第29回(1953)・上
受賞作なし

第26回(1951)・下
イエスの裔
柴田錬三郎

第24回(1950)・下
長恨歌
檀一雄

第23回(1950)・上
執行猶予
小山いと子

第22回(1949)・下
海の廃園
山田克郎

第20回(1944)・下
受賞作なし

第19回(1944)・上
ニューギニヤ山岳戦
岡田誠三

第18回(1943)・下
山畠
森荘已池

第18回(1943)・下
蛾と笹舟
森荘已池

第17回(1943)・上
受賞作なし

第16回(1942)・下
寛容
神崎武雄

第16回(1942)・下
強情いちご
田岡典夫

第15回(1942)・上
受賞作なし

第14回(1941)・下
受賞作なし

第13回(1941)・上
雲南守備兵
木村荘十

第12回(1940)・下
上総風土記
村上元三

第11回(1940)・上
軍事郵便
河内仙介

第11回(1940)・上
小指
堤千代

第10回(1939)・下
受賞作なし

第9回(1939)・上
受賞作なし

第8回(1938)・下
兜首
大池唯雄

第8回(1938)・下
秋田口の兄弟
大池唯雄

第7回(1938)・上
ナリン殿下への回想
橘外男

第5回(1937)・上
受賞作なし