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晴星

【短編小説】おにぎり、握って

創作短編小説「おにぎり、握って」のサムネイル 晴星
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 カチコチという硬い時計の音だけが響く部屋。そこに、お決まりのメロディーが破壊者として入りこんだ。
 レポートを書くのに夢中になっていた私は、その破壊者のせいで勢いよく現実に引き戻される。ぱっと顔を上げシャーペンを置くと、その音の方へと向かった。歩数にしておよそ二歩。おへその高さほどの横長の食器棚の上にそれはあった。
「美味しく炊けたかな」
 鼻腔をくすぐる香りで明らかだったが、それでもやはり蓋を開ける前と開けた後では感じ方が違う。カチリとグレーのボタンを押すと、勢いよくふたが開いた。
 その瞬間、米の甘い匂いと水蒸気が一気に立ちのぼる。
「んーー! 美味しそう!」
 本当は十分ほど蒸らしたほうがいいのだが、お腹がそれはもう激しく主張している。本当は四十分前にご飯にありつけるはずだったのに、米を炊くのを忘れていたせいで、先延ばしになったからだ。
 これ以上は待っていられない。
 お腹の主張を聞き入れた私は、食器棚の一番上の引き出しからお茶碗を取り出し、ふんわりと白米をよそった。
 勉強机を拭き、ランチョンマットを敷く。
 その上に、お茶碗といくつかのお皿を載せた。
 今日のおかずは、肉じゃが、ほうれん草の白和え、大根と人参のお味噌汁、ひきわり納豆、甘口の卵焼き。
 明日、実家に帰るからと余った食材をすべて使ったため、一人で食べるにはいくらか量が多くなってしまった。残ったら帰省道中食べるお弁当にしようと決め、手を合わせた。
「いただきます」







 新幹線に揺られ、はや一時間が経っていた。ちょうど浜松駅を通過したところだ。
 久々に乗るとその速さに恐怖を感じてしまう私だったが、一時間もすればどうだろう。窓に肘をつき、優雅に過ぎゆく風景を眺めている。
「コーヒーをホットで」
 隣でノートパソコンを広げていた若いサラリーマンが、車内販売のお姉さんを呼びとめた。
 この暑いのにホットを頼む人がいるんだな、と思ったが、考えてみればそうかもしれない。窓際で、存分に日光浴している私だったが、左側の腕だけやけに冷えるのを感じていた。
 冷房が効きすぎているのだ。省エネをうたいながら、公共の乗り物もデパートも学校の教室も、私たちを氷漬けにしたいのかというほど冷え切っている。一部の暑がりに合わせているのだろうか。
 体を冷やすことは体に悪いことだとおばあちゃんは言っていたのに。
 これでは、サラリーマンがホットコーヒーを頼むのも無理はないように思われた。
 ぐー
 コーヒーの匂いを嗅いでいると、私のお腹がか細く主張した。
 昨日からうるさいやつだ。
 携帯で時間を確認したところ十二時を回っていたので、素直にお腹の主張に従うことにした。
 足元の紙袋の中から、お弁当箱とスープジャー、水筒を机の上に出す。ふたは邪魔になるから紙袋の中に戻した。
 手を合わせ、小さく「いただきます」と言った瞬間――
 ぐー
――今度は、少し太い音がした。私のではない。
 ちらりと隣に視線をやると、サラリーマンが口に手を当てていた。
「すみません……」
 恥ずかしそうに目を逸らすその様子がなんだか可愛くて、思わず口走ってしまう。
「食べますか?」
「え?」
「移動販売はしばらく来ないだろうし、でも残り物なんですよね。あ、そうだ! おにぎりはどうですか。ラップの上から握ったので汚くは……」
 そこまで言って、私はハッとした。
 新幹線で隣に座っただけの人のご飯、ましてや手作りなど、誰が食べられようか。現代人の警戒心は昔と比べ格段に上がっているのだ。
 不審者として、車掌さんに突き出されたらどうしよう……。
 前言撤回したい気持ちでいっぱいだった。サラリーマンの口が開くのを見て、思わずぎゅっと目を瞑る。
「いいんですか?」
「……え?」
 今度は私が聞きかえす番だった。 
「あ、やっぱりだめですか」
「いや、そんなことは……! すみません。怪しいですよね、私」
「怪しい?」
「初対面のひとに手作りのものを勧めることです」
「ああ」
 ようやく理解した様子のサラリーマンは、ポンと手を打った。そして、頭を掻きながら、照れ臭そうにこう話す。
「僕、かなり田舎の出なもんで、人の手作りとかあんまり抵抗なくて。東京とかだと確かに、普通ないかもしれませんね。でも……その丁寧なお弁当をみて、怪しいだなんて思いません」
 サラリーマンは、お弁当箱を指差して言った。
 昨日の残り物といえど、確かに栄養バランスには気をつけて作っている。色味も盛り付けも疎かにはしていないつもりだ。
「味噌汁付きなんて、なかなかありませんよ」
 そう言って無邪気な笑顔を見せるサラリーマンに、ああ、一体なにを難しく考えていたんだ、と頬を緩ませた。ラップに包まれた塩むすびを一つ、サラリーマンに差しだす。
「では、お一つどうぞ」
「いただきます」
 サラリーマンは、丁寧に両手を合わせた後、おにぎりを受け取った。
 ラップを取ると、下の味付け海苔に包まれたところまで一気にかぶり付く。
「ん! おいふぃ!!」
 米を口に頬張ったまま、サラリーマンは言った。
「ふふっ、そんな大げさな」
 あまりのオーバーリアクションに、私は思わず笑ってしまう。
 けれども、サラリーマンは興奮冷めやらぬ様子で続けた。 
「いや、マジで美味しいです! 冷めてるのに、こんな美味いの初めて食べました」
「ありがとうございます」
「凄いですね、若いのに」
「いえ。おばあちゃんにはまだ敵いません」
「おばあちゃん?」
「はい! おばあちゃんのおにぎりはそれはもう美味しくて! ずっと私の好きな食べ物な……あ、すみません。つい熱くなっちゃって」
 前のめりになった体を引き、私は俯いた。余計なことまで口走ってしまうのは私の悪い癖だ。
「大丈夫ですよ」
 優しい声音に顔を上げると、やっぱり優しい顔をしたサラリーマンがいた。
「おにぎりが一番好きなんて珍しいですね」
「それは理由があって。でも、それを話すと長くなってしまうので」
「よかったら聞かせてください。ちょうど、仕事も片付いたところなんで。目的地までの暇つぶし、なんて……ちょっと言い方が悪いですかね」
 頭を掻き苦笑するサラリーマンに、私はクスリと笑った。
 表情がコロコロと変わって、面白い人。
「いいえ。では、暇つぶしがてら『私とおばあちゃんとおにぎり』のお話をお聞きください」









『一番好きな食べ物はなんですか』


 小学生のころ、私はこの質問に答えられませんでした。 
 好きなものがなかったわけではありません。その逆――好きなものがありすぎたんです。
 主菜ならお母さんの作るハンバーグだし、副菜なら分葱わけぎぬただし、野菜ならほうれん草だし、果物なら梨だし、おやつならシフォンケーキだし――なぜもっとジャンルをせばめて聞いてくれないのだろうと、いつも思っていました。
 五年生のときでした。クラス替えをして、一人ずつ自己紹介をしていました。最初の子に釣られたのか、みんな名前とか前のクラスとかと一緒に好きな食べ物を発表していました。
 私は、焦りました。みんな一種類ずつしか言っていなかったからです。今思えば、真面目に考えすぎていたのですが、当時は必死でした。
 私の番がきて、結局「ありません」としか言えませんでした。
 休み時間になって、少し気の強い女の子が私のところへやってきました。
 そして、こう言うんです。
「好きな食べ物がないなんて、変! みんなに本当のこと言いたくないんだ! 嘘つき!」
 私は、違うと否定しました。幸い、虐められたりすることはありませんでしたが、とうとうその女の子とは話すことなく一学期が終わりました。


 夏休みになり、私は一人電車に乗って祖父母の家に行きました。両親が共働きだったので、長期休みは必ず祖父母の家で過ごしていたんです。
 ある日のことでした。三時のおやつに、おばあちゃんが切ってくれたスイカを食べていました。おじいちゃんはテレビの中の野球に夢中だったので、おばあちゃんに学校のことや家族のことなどを話していました。
「ねえ、おばあちゃん」
「ん? どうした?」
「おばあちゃんが一番好きな食べ物ってなに?」
 学校の話になり、ふと四月のことを思い出した私は、おばあちゃんに尋ねました。
「そうねえ。おばあちゃんのお母さんが作ってくれてたチマキかねえ」
「ひいおばあちゃんが? チマキってなに?」
「チマキっていうのは、もち米をササの葉で包んだ食べ物。三角が多いけど、ひいばあさんのはもち米をほそーくにして、裏山で取ってきたササの葉でくるくるーっと巻いちまうんだよ。その速いことといったら」
 おばあちゃんは、身振り手振りを合わせ話してくれました。あんまり楽しそうなので、私は夢中になって話を聞きました。
「お母さんは食べたことある?」
「ああ、ちっこいころにね。でも、今じゃもう食べられないのさ」
「どうして?」
「ひいばあさんが死んじゃってて、誰も作り方を受け継いでないんだ。女兄弟が四人もいるのにね。おかげであんたのお母さんには、度々小言を言われるよ。『なんで誰も覚えてないの』って。食べたらわかるんだけどねえ」
「お店で美味しいの買うんじゃダメなの?」
「それが、どこのを食べてもお母さんのあの味には勝てんのさ。幻の味だねえ」
 おばあちゃんは、天を仰ぐように上を見ました。きっと、ひいおばあちゃんのことを考えているのだろうと思いました。
「それにしても、どうして急に好きな食べ物なんて聞いてきたんだい?」
 おばあちゃんの質問に私は、言葉を詰まらせました。年の功でしょうか、おばあちゃんは黙って私が口を開くのを待っていました。
 ようやく、私の決心がつきました。
「わたしね、好きな食べ物が分からないの。いっぱいありすぎて一個に決めれなくて。それでね、一番が言えないから『ありません』って言っちゃったの。そしたら嘘つきって……」
「そうだったのかい。確かに一番を決めるのは難しいわなあ。そうなあ……おばあちゃんから一つアドバイスするとしたら、ふとした時に食べたいなあ、って思うもんがええんじゃないかねえ。その回数が一番多いもんが、あんたの一番じゃないんかねえ」
「ふとした時に……」
「まあ、ゆっくり考えたらええよ。あんたは先が長いんじゃけえ」
 そう言っておばあちゃんは、スイカの皮が乗ったお皿を持って立ち上がりました。


 お盆になり、両親と兄がやってきました。従兄弟もやってきました。人数がたくさんになると、おばあちゃんはあるものを作ってくれます。
 私は、横に立ってその様子を見ていました。
 お決まりのメロディーがキッチンに響きわたりました。十分ほど待って、おばあちゃんはカチリとボタンを押し、炊飯器のふたを開けました。勢いよく蓋は開き湯気が舞い上がると同時に、炊きたてのご飯の香りが漂ってきます。
 おばあちゃんは、濡らした布巾を両手にお釜を持つと、よいしょ、と掛け声をあげながら、耐熱ボウルにご飯を移しました。蒸気で透明なボウルは一気に曇ります。
 ここからは時間との戦いです。
 シンク横の台の上には、もくもくと湯気をあげるご飯が入った耐熱ボウル、塩の入った小皿、水の入ったボウル、そして完成したおにぎりを置くお皿――その上には味付け海苔がスタンバイしています。
 作業が始まります。手に水と多めの塩をまぶしたおばあちゃんは、しゃもじでご飯をすくうと、それを手のひらに乗せます。
「よっ、ほっ」
 そんな声が聞こえてきそうな軽快な握りです。くるくるとおばあちゃんの手のひらで回ったご飯は、あっという間に三角形を形作り、おにぎりになりました。海苔をつけて、ひとつ完成。その速いことといったら。
 横で見ていた私は、ごくりとつばを飲み込みました。シンクのふちに手をかけると、そっともう片方の手を伸ばします。親指と人差し指がおにぎりをつかんだ途端――
「熱っ」
――そのあまりの熱さに、私は思わず手を引っ込めました。
「もうちょっと我慢しんさい」
 そう言いながらおばあちゃんは、瞬く間に大きな平皿をおにぎりで埋め尽くしました。


 居間に持っていくと、みんなお味噌汁も卵焼きもお漬物も焼き鮭も放ったらかしで、おにぎりに手を伸ばしました。
 私も負けじと手を伸ばしました。
 あっという間に三個食べました。
 手についた海苔を舐め取りながら、私はふと思いました。
 これだ、と。
 ふとした時に食べたくなって、その回数が一番多いもの――それは、このおにぎりだと。おばあちゃんのおにぎりだと。
「おばあちゃん!」
 食事中にもかかわらず、私は立ち上がりました。
「どうしたんだい」
 おばあちゃんは怒ることもせず、聞いてくれました。
「私の一番好きなもの、おばあちゃんのおにぎりだ!」
 おばあちゃんは眼鏡の奥で目を大きく開きました。
 そして、嬉しそうに笑うと、「そう」とだけ言いました。
 両親も兄も従兄弟もなんのことだと首を傾げていましが、おじいちゃんだけが二人の様子に目を細めていました。


 二学期になり、私は、四月以来話していないあの子のところへ行きました。
「夏川さん」
 突然、私が話しかけたことに驚いたのでしょう。夏川さんはたじろぎながらも、応えてくれました。
「な、なに」
「夏川さんの言う通り、好きな食べ物がないなんて嘘。本当はいっぱいありすぎて決められなかったの。でも、夏休みに決められた。私、おばあちゃんのおにぎりが好き。何よりも一番大好き!」
「そ、そうなの」
「ごめんね。嘘付くつもりはなかったの」
「……なんであんたが謝るのよ。分かってるわよ、そんなこと……ちょっと八つ当たりしただけよ。私こそ、ごめんなさい。見つかってよかったわね」
「う、うん!」
 彼女に認めてもらえたことは、何よりも嬉しいことでした。胸のしこりが取れた気がしました。
 この時からずっと、私の一番好きな食べ物は『おばあちゃんのおにぎり』です。









「すみません。やっぱり、長すぎましたよね」
 手を高く上げ、伸びをするサラリーマンに私は恐縮した。
 しかし、サラリーマンは口角を上げ、言う。
「いいえ、面白かったですよ。動くのを忘れるくらい。いいですね、僕もおばあちゃんのおにぎり、食べたくなってきました」
「それならよかったです。私のものの十倍は美味しいですよ」
「それはすごいなあ」


――――まもなく新大阪、新大阪です


 軽快なメロディーの後、車内アナウンスが始まった。
「あ、僕、次で降ります」
 サラリーマンは、カバンにパソコンを入れ、身支度をする。
 私は、なんともいえぬ寂しさを感じていた。
 徐々に入り口付近に列ができてきた。
 サラリーマンは立ち上がると、私に何かを差し出す。
 みると、名刺だった。
「よかったら、連絡ください」
「え!?」
 驚く私をよそに、サラリーマンは後方の出入り口へと行ってしまった。


 それから、降車までの五十分弱――。私は、『黒木 天真』と書かれた名刺の裏になぐり書きされた電話番号と睨めっこすることになるのだが……。


「天真」を「たかまさ」と読むことを知るのは、また別のお話。
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