男は、ショッピングモールの中を歩いていた。
閉じられた空間がないか探している。個室のトイレが最適だと思い探すが、見当たらない。看板が出ているはずなのに、男の目には映らなかった。
男の両腕には、人一人分の体重が乗っていた。女のものだからさして重たくはない。女は、青白く、そして、冷たかった。彼女の魂は、既に天へと昇り、ここにはない。動かないはずの彼女の体は、男の歩みとともに上下に揺れていた。
女の亡骸を抱き歩く男の姿は、誰の目にも異様な光景だったに違いない。しかし、大勢いるはずのショッピングモールの客も店員も、誰一人として男を視界に入れる者はなかった。
男は、焦っていた。
急がなければ。
どこか個室はないものか。この建物に入るまでに、ホテルや漫画喫茶なども探した気がする。どちらも街にあるはずだが、男の選択肢からは外れていた。外した理由はわからない。
閉じられた空間で、女の亡骸と何をしようというのか。男と女は、恋人だった。彼女の生前を懐かしみ、最後のまぐわいでもしようというのか。その冷えた体に、まだ、愛を伝えようというのか。
男は結局、ショッピングモールを後にした。
どういう道を辿ったか覚えていない。
次に着いたのは、スーパーマーケットだった。
一階建ての、食品と少しの日用雑貨と小さなパン屋があるだけの、ごく普通のスーパーマーケットだ。
海が近い気がする。
実際に見たわけではない。波の音を聞いたわけでもない。潮の匂いでも、男の鼻腔をくすぐったのだろうか。
男は、スーパーマーケットに入ろうとする。やっと、個室のトイレが男の視界に映ったのだ。しかし、自動ドアをくぐる手前で、緑の三角巾とエプロンをつけた、細身の小母さんに声をかけられた。
「あっちだよ」
小母さんは、それだけ言うと品出しに戻った。
男は、小母さんが指差した方へ向かって歩き出した。
辿り着いたところは、広場だった。
中央が舞台になっており、その舞台を取り囲むように席がある。席と言っても、高めの階段があるだけで、椅子が置かれているわけではない。しかし、冷たいコンクリートの、灰色で無機質の、長年の雨跡で黒く汚れたその階段に腰掛けている人は何人かいた。
階段を降りると、舞台の真ん中に人が集まっていた。
舞台の真ん中には、直径一メートルほどの窪みがある。その窪みの中には、細かい灰が積もっていた。風で飛ばされないことが不思議なほど無造作に。けれども、ここの灰が尽きることはないだろう。男はそう思った。
窪地の周りにいる人々は、しゃがみ込み、灰の山に長い線香を突き刺し、お経を唱えている。
男も、彼らに従った。
男の腕から、女の亡骸が消えている。代わりに、どこで手に入れたのか、長い線香と経本があった。
灰の中に線香を突き立てた。倒れないよう深く差し込む。火をつける。細い白煙が天に昇った。
男は、経本のいつものページを開き、唱えはじめた。